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Interview with Athlete
名将・渡辺監督が語る直撃インタビュー!
勇退を決意した心境
決断まではかなり複雑な心境に駆られてね、50年も一つの道を貫き通すことは、皆さんはすごいことだと言うけれど、それしかなかった、器用じゃないからまっしぐらでここまで来ました。と思うと、一抹の寂しさがあります。引退を表明して、高校野球とはなんだろう、監督とはなんだろうと振り返るんです。寝食共にして、一生懸命情熱を注いで、はじめて高校野球の監督かなと、体調を崩してグラウンドで倒れてもいいと思った時期もありました。コーチ達に助けられ、采配だけふるう野球とはどうか、と考えるといいタイミングだったと思います。
今も昔も変わらない、指導者としての心意気
実はね、最初の頃は自分!、自分のためにと情熱を燃やしてやっていました。誰だってそうでしょ、政治家、社会人…。それがだんだんと自分の置かれている立場を考えると、生徒を育てることだと分かってきたのは50歳くらい。やがて私が終わるように、ここから選手たちも巣立っていきます。その後の人生をどうやって生きるか、それを教えてやることが私の仕事ですね。人を育てることですかね。
長い歴史の中で、一番印象に残る時代
たまたまね、10年周期で優勝できたことは幸せですが、栄光より挫折、成功より失敗、勝利より敗北、その中から得た、それぞれの10年間の積み重ねが50年になったのであって…。でまあ、強烈に印象深いのは、最初の優勝、センバツで全国制覇したことは感慨深い。その時代は江川卓(栃木県/作新学院)というすごい選手がいました。このピッチャーを倒すことに情熱を注ぎ、初めての甲子園で永川英植投手をはじめ、史上初のサヨナラ満塁ホームランを打った長崎誠、本当に印象深い。
ライバルの存在
ライバルとは自分に討ち勝つこと! 自分がライバルですよ。今、最後の監督にトライしているのも自分に勝つことかな、若い頃の自分に勝ちたいですよ。当時は東海大相模の原貢、そばにいる小倉清一郎がライバルで、手法は変わっても理念は変わらない、そこには自分に討ち勝つ、ということでした。それを選手たちにも伝えています。
野球との出会い
終戦直後、購買キャラメルの中にね、青田昇、川上哲治、大下弘…、そういう選手ブロマイドが入ってるんですよ。それを見て、プロ野球選手になりたいと。そして、小学校4年生位になってかな、兄貴とキャッチボールやったり、転校先の先生が野球好きで私の素質を見抜いたかのように一生懸命教えてくれてね。野球ができたのはこの先生のおかげ、今、90歳、今でも親しくさせてもらってますよ。
甲子園常連校としての振る舞い
自分としては、メディアなどの対応【礼儀】も教えてきました。相手を思いやる礼儀。マスコミが報道するから今の高校野球がある、と思っています。誰も見てくれなかったら楽しむ野球で終わってしまうからね。でも昔は、これだけ練習してきたのに勝っても喜びを表現させてやれない「だめだだめだ、やめなさい」と素行を制御することもありました。個人的に思うことは、相手を思いやることは大事、でも結果を出したらまずはうんと喜び、その後で相手を思いやる、そういう高校生らしい礼儀・教育で在りたいですね。
ここ一番で力が発揮できる子の育て方
技術的に崩れる場合と精神的に弱い場合があって、技術的には修正をやったらいい。精神的に弱い選手は、言葉のマジックですかね。言葉には「味」と「真理」がある。「お前しかいない」の言葉で大勢の極限で打ち勝つことができた選手もいました。時には言葉などいらなくて、今の時代は無理だけど、タイムで肩なんか触れてやるだけで力を発揮する選手もいました。生徒の気質を見抜く、洞察力を備えるのが指導者!そこには信頼関係が無きゃいけないしね。指導者っていうのは役者ですよ。
今だから言える試合背景
1998年 第80回大会夏、準決勝、明徳義塾戦、6対4、9回表で松坂投入。あれはね、前の日がPL学園戦、松坂は17回250球投げて限界でした。将来ある選手ですし、松坂だけのチームではないので、「明日は登板させません」と答えました。松坂本人もインタビューで「明日は投げません」と答えたそうだが、実は「放れない」の意味だったらしいですよ(笑) 宿舎に帰ってね、明日は打撃戦でいくと決めて臨んだんです。そしたらうちは打てない…。これは選手知らないですよ、ベスト8になったということは神奈川国体に出場はできるから、それじゃあ最高のメンバーで甲子園を去ろうと、初めて負けを意識した大会でした。で、松坂投入した途端、5万人近い大観衆の声の圧力で揺れ動くのを見たね。私以上に、選手は委縮するは、あのベテラン監督の馬淵監督でさえ慌てだして、神風が、神の声がグラウンドに降りてきたという感じでしたね。松坂を出したことで奇跡の大逆転になったのかな。
監督にとって横浜高校とは
横浜高校は家族の一員。自分の母校でもあるから、消えて無くなっちゃあ困る! 大げさだけど、命を懸けてこの学校に情熱を注いだ、自分の家族を犠牲にしてね。反面、育ててももらった。「横浜高校なくして渡辺無し! 渡辺なくして横浜高校の野球無し!」とにかく横浜高校は自分の宝です。これからは出しゃばることなく見守っていきたい。そして、野球で高校野球に恩返しできればいいですね。
横浜高校終身名誉監督
渡辺 元智
Motonori Watanabe
1944年11月3日生まれ(70歳)
全国大会出場、春15回、夏12回、うち優勝は春3回、夏2回、甲子園通算51勝。1998年には史上5校目の春夏連覇。2015年夏以降、横浜高校終身名誉監督就任へ
1965年(昭和40年) コーチ就任
1968年(昭和43年) 監督就任
1973年(昭和48年) 第45回選抜高校野球大会
初出場・初優勝永川 英植(1973年)
1980年(昭和55年) 第62回全国高校野球選手権大会
初優勝愛甲 猛(1980年)
1998年(平成10年) 第70回選抜高校野球大会
25年ぶり2度目の優勝
  第80回全国高校野球選手権大会
18年ぶり2度目の優勝
史上5校目の春夏連覇達成
松坂 大輔(1998年)
2004年(平成16年) 脳梗塞で闘病
2006年(平成18年) 第78回選抜高校野球大会
8年ぶり3度目の優勝高濱 卓也(2006年)
2015年(平成27年) 勇退決意